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 +======S1======
  
 +=====目的=====
 +> **目的:**アルコホリズムの歴史と、その治療へのアプローチを調べることによって、ステップ1への足場を築くこと。クライアントのアルコホリズムについての誤解を改め、新しい概念をもつ準備を整わせること。
 +
 +> **期待される結果:**クライアントは、自分の誤解が何に由来していたかが分かり始める。
 +=====アルコホリズムの歴史=====
 +
 +> アルコールは人類が用いてきた最古の薬の一つである。
 +
 +そして、アルコールの問題は古くからあった。
 +
 +====古代====
 +
 +古代エジブトの壁画には、ビールを飲んだ人々の記録も残されている。\\
 +
 +|  {{:​rds:​egypt1.gif|}} ​ |  {{:​rds:​egypt2.gif|}} ​ |
 +|  宴会で飲みすぎた女性達の図 ​ |  酔って運ばれる人の図 ​ |
 +春山行夫(1990)((春山行夫(1990),​ 『ビールの文化史1』 (春山行夫の博物誌IV) ,​東京:​平凡社)) -> [[http://​www.kirin.co.jp/​entertainment/​daigaku/​brk/​no2/​|キリンビール大学:古代エジプトのビールはアルコール度が高かった]] (kirin.co.jp)
 +
 +[[http://​www.nbcnews.com/​id/​15475319/​ns/​technology_and_science-science/​t/​sex-booze-figured-egyptian-rites/#​.WRZYPsakKUk|Sex and booze figured in Egyptian rites]] (NBC News)  Courtesy Betsy Bryan / JHU\\
 +[[https://​books.google.co.jp/​books?​id=_eZSAQAAQBAJ|Ancient Egyptians (2 Vols) - J. Gardner Wilkinson]]\\
 +====旧約聖書====
 +
 +<​blockquote>​
 +23:29 不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か\\
 +いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か\\
 +理由なく傷だらけになっているのは誰か\\
 +濁った目をしているのは誰か。\\
 +23:30 それは、酒を飲んで夜更かしする者。混ぜ合わせた酒に深入りする者。\\
 +23:31 酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが\\
 +23:32 後になると、それは蛇のようにかみ\\
 +蝮の毒のように広がる。\\
 +23:33 目は異様なものを見\\
 +心に暴言をはき始める。\\
 +23:34 海の真ん中に横たわっているかのように\\
 +綱の端にぶら下がっているかのようになる。\\
 +23:35 「打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。」 \\
 +<​cite>​箴言((箴言,​ 『新共同訳聖書』(1987),​ 東京:​日本聖書協会)) 23:29-35 -> http://​www.yoyoue.jpn.org/​bible/​pro.htm</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +<​blockquote>​
 +**Proverbs** Saying 19
 +
 +29 Who has woe? Who has sorrow?\\
 +Who has strife? Who has complaints?​\\
 +Who has needless bruises? Who has bloodshot eyes?\\
 +30 Those who linger over wine,\\
 +who go to sample bowls of mixed wine.\\
 +31 Do not gaze at wine when it is red,\\
 +when it sparkles in the cup,\\
 +when it goes down smoothly!\\
 +32 In the end it bites like a snake\\
 +and poisons like a viper.\\
 +33 Your eyes will see strange sights,\\
 +and your mind will imagine confusing things.\\
 +34 You will be like one sleeping on the high seas,\\
 +lying on top of the rigging.\\
 +35 “They hit me,” you will say, “but I’m not hurt!\\
 +They beat me, but I don’t feel it!\\
 +When will I wake up\\
 +so I can find another drink?”\\
 +
 +<​cite>​Proverbs ((Proverbs(2013),​ //Proverbs New International Version//, Biblica -> //​[[https://​www.biblegateway.com/​passage/?​version=NIV&​search=Proverbs%201|Proverbs]]//​ (Biblica) )), 23:29-35 ->​[[https://​www.biblegateway.com/​passage/?​search=Proverbs%2023:​29-35|Proverbs 23:29-35]] (Biblica)</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +> あなたの目は怪しいものを見る --- 幻覚。
 +> あなたの心は偽りを描く --- 妄想。
 +> 外海で寝る者のように、帆柱の上で寝る者のようになる --- ふらふらしていませんでしたか?
 +> 人がわたしを殴ったが、わたしは痛くはなかった --- ケガをしても痛みを感じなかったことは?
 +> 彼らは朝に目覚め、また酒を求める --- 経験は?
 +
 +<note important>​
 +> こうした古代の描写から明らかなのは、古代の人々がアルコール問題を理解しておらず、それを病気とは見ていなかったということである。
 +</​note>​
 +====アメリカのアルコール問題====
 +
 +アメリカはアルコールの問題が深刻な国。
 +
 +{{:​rds:​who-sa01461r.png?​direct|}}
 +
 +<​blockquote>​
 +^順位^国または地域^アルコール依存症者の割合^
 +|1|ベラルーシ|11.0%|
 +|2|ハンガリー|9.4%|
 +|3|ロシア|9.3%|
 +|4|スロベニア|6.2%|
 +|5|ノルウェー|6.1%|
 +|6|**イギリス**|5.9%|
 +|7|スロバキア|5.5%|
 +|8|エストニア|5.4%|
 +|9|リトアニア|4.9%|
 +|9|オーストリア|4.9%|
 +|9|ペルー|4.9%|
 +|12|**アメリカ**|4.7%|
 +|12|韓国|4.7%|
 +|12|スウェーデン|4.7%|
 +| | |
 +|136|日本|1.1%|
 +2010年 世界保健機関(WHO)
 +<​cite>​
 +The World Rankings((The World Rankings, 世界・アルコール依存症者の割合ランキング->​ [[http://​top10.sakura.ne.jp/​WHO-SA01461R.html|世界・アルコール依存症者の割合ランキング]])) -> [[http://​top10.sakura.ne.jp/​WHO-SA01461R.html|世界・アルコール依存症者の割合ランキング]]
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +アルコール依存症者が多いのは主に中・東ヨーロッパ。\\
 +その他は、ノルウェー・**イギリス**・ペルー・**アメリカ**・カナダ・韓国。
 +
 +<note important>​
 +イギリスのアルコール問題は深刻で、アメリカはそのイギリスの植民地だった。
 +</​note>​
 +
 +参考://​[[http://​www.who.int/​gho/​alcohol/​en/​|Global Information System on Alcohol and Health (GISAH)]] (WHO)//\\
 +
 +<​blockquote>​
 +**メイフラワー号が北アメリカにビールをもたらした**\\
 +1620年9月、「メイフラワー号」がアメリカに向かい出港しました。「メイフラワー号」に乗船していたのは、102人の清教徒と27人の船員でした。しかしアメリカ大陸到着までの2ケ月にも及ぶ長い航海の間に人々の疲れは限界になっていきます。当時は冷蔵設備がなく、食料は乾燥したものか塩づけにされたものだけだったので、ビタミン不足による病気に苦しみ、さらに水不足のため着ているものの洗濯もできず、不潔な環境の中にもいました。\\
 +「メイフラワー号」はビールも積んでいました。その数、なんと400樽も積み込まれており、彼らにとってビールは食料の中でも特に重要なものでした。上陸を決めた際の航海日誌に「食べ物よりも何よりも、ビールが底をついてしまった」という内容が記述されているほどです。
 +<​cite>​
 +アサヒビール((アサヒビール,​「世界のビールの歴史」 -> [[http://​www.asahibeer.co.jp/​enjoy/​history/​america/​north01.html|「世界のビールの歴史」]])),​ メイフラワー号が北アメリカにビールをもたらした -> [[http://​www.asahibeer.co.jp/​enjoy/​history/​america/​north01.html|「世界のビールの歴史」]]
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +メイフラワー号は、信教の自由を求めてイギリスからアメリカに移住した清教徒たちの移民船。彼らの積み荷にはたくさんの酒が含まれていた。・・・その理由は?
 +<​blockquote>​
 +Passengers consumed large amounts of alcohol such as beer with meals which was known to be safer than water, which often came from polluted sources causing diseases.
 +----
 +乗客達は食事と一緒にビールなどの大量のアルコールを消費した。汚染された水を飲んで病気になるより、酒のほうが安全だとされていたからである。
 +<​cite>​[[wp>​Mayflower]]</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +  {{:​rds:​mayfloweriicourtseyplimothplantation.jpg?​400|}}\\
 +  [[http://​www.connecticutmag.com/​Blog/​History/​December-2014/​The-Mayflower-IIs-Unlikely-Journey-to-Mystic-Seaport/​|復元されたメイフラワー号]]
 +
 +<note tip>
 +大量にアルコールを消費する文化がヨーロッパからアメリカに持ち込まれた。
 +</​note>​
 +===現在のアメリカのアルコール問題===
 +
 +2013年、12才以上でアルコール問題を抱える人は1,​730万人(うち依存800万人、乱用930万人)。\\
 +18才以上でアルコール問題を抱えている人は**1,​660万人**。これは成人人口の**7%**。\\
 +このうち、専門治療を受けているのは**130万人**。\\
 +//​[[http://​www.niaaa.nih.gov/​alcohol-health/​overview-alcohol-consumption/​alcohol-facts-and-statistics|Alcohol Facts and Statistics]] (NIAAA)//
 +
 +===日本のアルコール問題===
 +
 +2013年7月時点で、アルコール依存症の診断基準(IDC-10)を満たす人は男性1.0%、女性0.2%で、2012年時点の人口に当てはめると計約**58万人**だった。過去に1度でも依存症の基準を満たした「依存症経験者」は男性1.9%、女性0.3%でそれぞれ約95万人、約14万人となり、計約**109万人**に上った。\\
 +[[http://​www.47news.jp/​feature/​medical/​2014/​08/​post-1138.html|アルコール依存109万人 厚労省研究班推計]] (47News)\\
 +
 +治療を受けている患者数は**3万7千人**(2011年)\\
 +[[http://​www.mhlw.go.jp/​toukei/​list/​10-20.html|患者調査]] (厚生労働省)
 +\\
 +====アメリカの薬物問題====
 +
 +北アメリカ(アメリカ・カナダ・メキシコ)の、
 +
 +^ ^  世界に占める割合 ​ ^
 +|  人口 ​ |  7%  |
 +|  マリファナ使用者 ​ |  20%  |
 +|  エクスタシー(MDMA)使用者 ​ |  16%  |
 +|  アヘン類使用者 ​ |  30%  |
 +|  コカイン使用者 ​ |  33%  |
 +| | |
 +|  違法な薬物取り引き(2003年) ​ |  44%  |
 +
 +//​[[http://​matadornetwork.com/​change/​infographic-why-were-losing-the-war-on-drugs/​|Why we're losing the "War on Drugs" [INFOGRAPHIC]]] (MatadorNetwork)//​
 +
 +アメリカの違法薬物依存者数\\
 +依存 492万人+乱用 194万人=合計 **685万人**
 +
 +<note important>​
 +アメリカはアルコール問題も薬物問題も日本よりはるかに深刻で、深刻であるがゆえに対処方法が進歩した。
 +</​note>​
 +
 +12ステップはもちろんのこと、[[http://​www.matrixinstitute.org/​|MATRIX]]、[[https://​ja.wikipedia.org/​wiki/​%E5%8B%95%E6%A9%9F%E3%81%A5%E3%81%91%E9%9D%A2%E6%8E%A5|動機付け面接]]、[[http://​kongoshuppan.co.jp/​dm/​1319.html|CRAFT]]など新しい技法もアメリカから日本に紹介されている。
 +
 +====ベンジャミン・ラッシュ====
 +  {{:​rds:​rush.jpg?​320|Benjamin Rush}}\\
 +  //​[[http://​www.nlm.nih.gov/​hmd/​diseases/​benjamin.html|Benjamin Rush, M.D. (1749-1813):​ “The Father of American Psychiatry”]] (NIH)//\\
 +
 +Benjamin Rush (1746-1813) ペンシルベニア生まれ。イギリスとフランスで医学を学び、独立前のアメリカに戻って医院を開業。独立戦争(1775-1783)でアメリカ軍の軍医長官を務め、建国後は医学の教師となった。「アメリカ精神医学の父」と呼ばれる。
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1785|病気|完全な禁酒|なし|
 +
 +<​blockquote>​
 +ラッシュは最初、慢性的な酩酊状態は進行的な病だと言った。
 +
 +アルコール症はそれ自体、独自の病気と見なされるべきだと提案したラッシュの論文は、過剰飲酒は道徳的堕落、または精神病の原因または症候であるという伝統的な見方に一線を画した。
 +
 +ラッシュは酩酊の病気を「徐々に進行する自殺」と言及しており、これはカール・メニンガー博士(Dr. Karl Menninger)が152年後に再び取り上げて詳しく練り上げていくことになる概念だった。
 +
 +ラッシュは、常習的酩酊者にとっての唯一の希望は、継続する断酒のみであると断定した、アメリカ最初の医師だった。\\
 +
 +<​cite>​
 +ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ pp.2-3 第1章アディクション医療の種と個人の回復運動
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +<​note>​
 +ラッシュの父親はアルコホーリックだった。
 +
 +ラッシュは蒸留酒(ウィスキー)が酩酊の原因だと強く信じて疑わなかった。蒸留酒を非難し、ビールやワインに切り替えるよう勧めた。
 +
 +ラッシュが示した断酒の方法 --- キリスト教への改宗、激しい罪悪感や恥辱感、菜食主義、冷水浴、酩酊者の死に様を見せる、断酒の誓い・・など。
 +
 +ラッシュは瀉血療法(血を抜くことで病気が治るという考え)の信奉者だった。ただし、当時の欧米では「瀉血はどんな病気にも効く」と考えている医師が多かった。\\
 + --- [[http://​ja.wikipedia.org/​wiki/​%E7%80%89%E8%A1%80|瀉血]] (wikipedia)
 +</​note>​
 +<note important>​
 +ラッシュはアルコホリズムを病気だとしたが、その考えは受け入れられなかった。ほとんどの人は、アルコホーリクは意志が「弱い」あるいは「罪深い」とその後も信じ続けた。
 +</​note>​
 +  [[wp>​Benjamin Rush]]\\
 +
 +====節制運動(禁酒運動)====
 +
 +===当時のアメリカのアルコール消費量===
 +
 +^  年  ^  酒造業者数 ​ ^  年間1人あたりのアルコール消費量 ​ ^
 +|  1792  |   ​1,​279 ​ |   ​2.5gal ( 9.5L)  |
 +|  1810  |  14,​191 ​ |   ​4.5gal (17.1L) ​ |
 +|  **1830** ​ |          |   ​7.1gal (**27L**) ​ |
 +
 +{{:​rds:​alcholconsumptionamerica.jpg?​360|当時のアメリカのアルコール消費量}}\\
 +\\
 +また、ビールとワインから蒸留酒へと消費量がシフトしていった。大人気だったのはウィスキー。\\
 + --- ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ p.4\\
 +
 +現在のアメリカは**8.7L**、日本は**7.0L**(2010年)。\\
 + --- The World Rankings((The World Rankings, 世界・成人1人あたりのアルコール消費量ランキング->​ [[http://​top10.sakura.ne.jp/​WHO-SA01401R.html|世界・成人1人あたりのアルコール消費量ランキング]])) -> [[http://​top10.sakura.ne.jp/​WHO-SA01401R.html|世界・成人1人あたりのアルコール消費量ランキング]]
 +
 +  {{:​rds:​drinkdrive.jpg?​320|Ealy American Drinking and Driving}}\\
 +  初期アメリカの飲酒運転 --- White(2014)((White,​ William L. (1998,​2014),​ //Slaying the Dragon -- The History of Addiction and Recovery in America, Second Edition//, IL:Chestnut Health Systems)), p.6
 +
 +
 +===節制運動====
 +
 +Temperance Movement : temperance -- 節度\\
 +過剰な飲酒のことを「不摂生(intemperance)」と呼んだ。
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1813|社会問題|飲酒の抑制|なし|
 +
 +18世紀後半にはラッシュに賛同する著名人が増えていき、19世紀になると節制運動が組織された。\\
 +初期の節制運動は宗教家によって支持され広まった。断酒ではなく、節酒を勧めていた。
 +
 +1838年には、アメリカ節制協会は8,​000の支部と150万人以上の会員を集めた・・と主張していた。
 + --- [[wp>​American Temperance Society]]
 +
 +[[wp>​Temperance movement]]\\
 +[[http://​www.britannica.com/​EBchecked/​topic/​586530/​temperance-movement|temperance movement - Encyclopedia Britanica]]\\
 +
 +<note important>​
 +19世紀前半のアメリカでは、人々は現在の3倍のアルコールを飲んでおり、アルコールの問題もそれだけ深刻だった。それによって節制運動が始まった。
 +</​note>​
 +====ライマン・ビーチャー====
 +  {{:​rds:​lyman_beecher.jpg?​320|Layman Beecher}}\\
 +  [[wp>​Lyman Beecher]]
 +
 +Lyman Beecher (1775-1863) 牧師。1814年に大量飲酒についての6つの説教を出版し、それが全米に広がった。アメリカ節制協会の創始者の一人。\\
 +奴隷反対派で、娘であるハリエット・ビーチャー・ストウ夫人は『アンクル・トムの小屋』を書いた。 --- 世界の民謡・童謡(2015)((世界の民謡・童謡(2015),​ [[http://​www.worldfolksong.com/​closeup/​battlehymn/​history/​history4.htm|アンクル・トムの小屋 表面化する奴隷制度問題 リパブリック讃歌の謎/19世紀アメリカの歴史]] (worldfolksong.com) )) [[http://​ja.wikipedia.org/​wiki/​%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A6|ハリエット・ビーチャー・ストウ]] (ja.wikipedia.org)
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1826|罪と弱さ|完全な禁酒|なし|
 +
 +<​blockquote>​
 +**節酒(modelation)から断酒(abstinence)へ**
 +
 +ウィスキー飲みの酔っ払いをよりまともなビール飲みに改心させようという努力は、とにかく酒はほどほどにという説得の試みと同じく失敗に終わった。
 +
 +節制運動は節酒から全面断酒へシフトした(1800年から1825年の間)。
 +
 +手段として禁酒法の立法化へ(1825年から1850年)。
 +
 +<​cite>​
 +ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ pp.4-5 第1章アディクション医療の種と個人の回復運動
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +<​note>​
 +奴隷制度反対の立場をめぐる衝突などで、運動のメンバー数は打撃を受けた(1830~1840年の間)。
 +</​note>​
 +<note important>​
 +> 運動が「完全な禁酒」を推進する方向へ切り替わったとたんに、禁酒運動は失敗し始めた。
 +</​note>​
 +====ワシントニアン====
 +
 +Washingtonian movement 1840年4月2日、メリーランド州ボルチモアの居酒屋で6人のアルコホーリクによって始まった。新しいメンバーは、古いメンバーの体験談を聞いてから、皆の前で酒歴を話し、断酒の宣誓をし、宣誓書にサインした。**アルコホーリク当事者による運動**。
 +
 +^節制運動の節制ミーティング^ワシントニアン・ミーティング^
 +|討論や演説中心|**体験の分かち合い**|
 +|富裕・有名・社会的エリート層|労働者階級|
 +|社会の禁酒運動|アルコホーリクの断酒|
 +放蕩たる酒歴の告白と、それに続く栄光の個人的改心の物語 --- 人々に感動を呼び起こした。
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1840|道徳上の問題|完全な禁酒|共同体|
 +
 +メンバーは経済的援助をし、飲まない余暇を一緒に過ごした(**共同体**)。彼らは飲み仲間を呼び込んで運動が拡大していった。最初は、ミーティングにはメンバーだけしか出られなかった(今で言う「クローズド・ミーティング」)が、節制運動の人たちが興味をもったので、他の人も出られる一般ミーティングを開くようになり、アルコホーリクでないたちも受入れるようになった。それによって運動の性質が変わっていった。運動の全盛期には60万人以上が宣誓書にサインしたが、アルコホーリックはそのごく一部だけだった。1947年には運動は事実上消滅した。
 +
 +|断酒を始めるのに必要なこと|決意 --- 改心(reform)と呼んだ|
 +|断酒を続けるのに必要なこと|継続する回復のプログラム|
 +
 +ワシントニアンは断酒のための共同体を作った・・・しかし**ワシントニアンには回復のプログラムがなかった。**\\
 +\\
 + --- ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ pp.8-14 第2章ワシントニアンの復興
 +
 +[[wp>​Washingtonian movement]]\\
 +
 +  {{:​rds:​washintonian1.jpg?​320|}}\\
 +  ワシントニアンのミーティングで断酒の宣誓をし、宣誓書にサインする人たち。\\
 +  {{:​rds:​washintonian2.jpg?​320|}}\\
 +  断酒の宣誓書にサインする人たち。\\
 +   --- White(2014)((White,​ William L. (1998,​2014),​ //Slaying the Dragon – The History of Addiction and Recovery in America, Second Edition//, IL:Chestnut Health Systems)), pp.14-15
 +
 +<​blockquote>​
 +私たちがやったことをいくつか書いてみよう。・・・//​(宣誓の儀式をするかしないかは別にして)永遠に飲まないと誓う//​・・・――などなど、例をあげればきりがない。
 +<​cite>​
 +AA(2002/​2001)((AA(2002/​2001),​ 『アルコホーリクス・アノニマス』 翻訳改訂版,​ AA日本出版局訳,​ 東京: AA日本ゼネラルサービスオフィス)),​ p.47
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +誓いや宣誓は「断酒を続ける」には役に立たない・・という話。
 +
 +<​blockquote>​
 +一世紀前、ボルチモアのアルコホーリクの間で始まったワシントン協会の運動は、アルコホリズムに対する解答を見つける一歩手前まで近づいていた。最初、この協会はアルコホーリクだけで構成され、お互いに助け合おうとしていた。初期のメンバーは、唯一の目的だけに専念すべきことを理解していた。多くの点で、ワシントン協会は今日のAAに似ていた。メンバー数は十万人を越えていた。もしこのまま彼らだけで、当初の目標にあくまでも忠実に進んだなら、解答を完全に見い出せたかもしれなかった。しかしそうはならなかった。それどころかワシントン協会は、アルコホーリクであれ、ノン・アルコホーリクであれ、政治家であれ、社会改革者であれ受け入れ、しかもその人たちがこの協会をそれぞれの目的に利用することまで許してしまった。例えば当時激論を呼ぶ政治問題として、奴隷制度廃止問題があった。そこで、ワシントン協会の弁士がこの問題に関して公に、しかも激しく攻撃的に、一方の側に立った。この協会も、この廃止問題論争だけにとどめていたなら、生命をっなぐことができたろう。しかしアメリカの飲酒習慣まで改革しようという決定をしたとき、存続は絶望的になった。ワシントン協会は禁酒運動を始めてわずか数年で、アルコホーリクの手助けをする効力を完全に失ったのである。
 +<​cite>​
 +12&​12(1994)((AA(1994),​ 『12のステップと12の伝統』翻訳改訂版,​ AA日本出版局訳,​ 東京: AA日本ゼネラルサービスオフィス)),​ p.243
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +12&​12では「ワシントン協会」(Washingtonian Society)と呼んでいる。
 +
 +<note important>​
 +ワシントニアンたちは大成功した・・・が、断酒以外の目的を追い求めたことと、回復のプログラムがなかったせいで、7年しか続かなかった。
 +</​note>​
 +====エマニュエル運動====
 +
 +The Emmanuel Movement\\
 +[[wp>​Emmanuel Movement]]
 +
 +1906年、エルウッド・ウォーセスター牧師(Rev. Elwood Worchester)やサミュエル・マッコーム(Dr. Samuel MacComb)らが、ボストンのエマニュエル教会にクリニックを開設し、23年間にわたって様々な障害の治療を行った。
 +
 +> 飲酒問題に心理学的な要因が含まれているということを示した最初の組織的な活動だった。
 +> 運動の絶頂期には3万人の人々が改心し、この運動の考え方の下で回復したという。
 +> この運動に非常に大きな影響を与えたのは、ウィリアム・ジェイムズの著書『宗教的経験の諸相』だった。
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1900|心理的問題|スピリチュアルな経験|なし|
 +
 +<​blockquote>​
 +心理学と宗教を統合した心理カウンセリングを主な手法とした。
 +
 +コートニー・ベイラー、リチャード・ピーボディらの、素人療法家(lay therapist)が活躍した。精神科医・心理士・ソーシャルワーカーとしての訓練を受けていない人が、ピーボディらが示したガイドラインに従って治療を行った --- 後のスポンサーシップやアディクション・カウンセラーの先駆けと言える。
 +
 +<​cite>​
 +ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ pp.98-100 第12章アルコール、薬物依存への心理的アプローチ
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +エマニュエル運動は、スピリチュアリティと素人心理療法を組み合わせる試みだった。最初はスラム街の結核患者の治療を行い、毎週の集会に来る人たちに共同体を提供したが、後に精神病者の治療を加えた。やがて貧しい人たちの中にアルコホーリックが多いことが分かり、治療技法が開発された。それは、スピリチュアリティ、とてもシンプルな心理的治療、共同体の組み合わせだった。\\
 + --- Dubiel (2004)((Dubiel,​ R. M. (2004), //The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous//,​ iUniverse -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub1.html|The Road to Fellowship]]//​ (Hindsfoot Foundation) )) -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub2.html|The Emmanuel Movement and the Jacoby Club]]// (Hindsfoot Foundation)\\
 +
 +<note important>​
 +シカゴのエマニュエル運動はAAに影響を与えた。
 +  *飲酒問題に心理学的な要因が含まれているということを示した。
 +  *[[#​コートニー・ベイラー]]は[[rds:​s01_2#​ローランド・ハザード|ローランド・ハザード]]を治療した。
 +  *[[#​リチャード・R・ピーボディ]]の著書はビル・ウィルソンに影響を与えた。
 +  *[[#​ジャコビー・クラブ]]はシカゴのAAの母体になった。
 +</​note>​
 +
 +===コートニー・ベイラー===
 +
 +Courtenay Baylor --- 専門の有給アルコホリズム・カウンセラーとして働いた最初の回復者。エマニュエル・クリニックで治療にあたり、1919年に『人間の再生(Remaking a man)』というアルコホリズム・カウンセリング手法の本を書いた。\\
 +  {{:​rds:​courtenaybaylor.jpg?​|}}\\
 + --- Dubiel (2004)((Dubiel,​ R. M. (2004), //The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous//,​ iUniverse -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub1.html|The Road to Fellowship]]//​ (Hindsfoot Foundation) )) -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub2.html|The Emmanuel Movement and the Jacoby Club]]// (Hindsfoot Foundation)
 +
 +ベイラーは元は保険のセールスマンで、1912年にウォーセスタ-に雇われた。彼の素人療法家(lay psychotherapist)としての役割は次第に大きくなっていった。
 +
 +彼の患者にはローランド・ハザード(Rowland Hazard III)とリチャード・R・ピーボディ(Richard R. Peabody)がいた。
 +
 +AAでは、ローランドがスイスのカール・ユング(Carl Jung)の治療を受けたのは1931年の2ヶ月間だったとされているが、最近の研究では、ローランドは実際には1926年5月にチューリッヒのユングを訪れ相当の期間の治療を受けたことが分っている。ユングは、ローランドのようになってしまったアルコホーリックの回復にはスピリチュアルな助けが必要だと伝えた。ローランドは、その後、ベイラーに会うまで7年間を要した。
 +
 +ローランドは1932年の2月と3月にアルコホリズムで入院した。また、1933年1月から1934年10月まで体調を崩して仕事が出来なくなっていた。1933年にベイラーがローランドのセラピストになり、エマニュエル運動の手法により回復していった。ハザードはオックスフォード・グループにも出席していた。
 +<​blockquote>​
 +回復者セラピストのコーティニー・ベイラーのケアを1933年の10月から34年の10月まで受けたことも記録されている。
 +<​cite>​
 +ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ pp.126 第15章アルコホーリクス・アノニマスの誕生=小史
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +ローランドは1934年の8月にブラトルボロ精神病院(Brattleboro Asylum)に収容されるところだったエビー・サッチャー(Ebby Thacher)を助けた。そして11月にはエビーがビル・Wを訪問した。
 +
 +===リチャード・R・ピーボディ===
 +
 +Richard R. Peabody (1892-1936)
 +
 +ピーボディはボストンの上流階級の生まれで、1921年から22年までエマニュエル・クリニックに治療を受け、1924年にはボランティアとして働き、ニューヨークでアルコール症のカウンセリングを個人開業した。[ホワイト (2007/​1982)((W・L・ホワイト (2007/​1982),​ 『米国アディクション列伝:​ アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』,​ 鈴木美保子他訳,​ 東京:​ジャパンマック)),​ p.99]
 +
 +ピーボディはエマニュエル運動の方法から宗教的要素やスピリチュアルな部分を取り除いた。さらに、回復中のアルコホーリックの共同体の重要性を理解しなかった。彼の手法は、厳格なセルフコントロールの実践、理性による感情の制御であった。それでも、彼が1931年に書いた『飲酒の常識(The Common Sense of Drinking)』はビル・Wに影響を与えた。\\
 + --- Dubiel (2004)((Dubiel,​ R. M. (2004), //The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous//,​ iUniverse -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub1.html|The Road to Fellowship]]//​ (Hindsfoot Foundation) )) -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub2.html|The Emmanuel Movement and the Jacoby Club]]// (Hindsfoot Foundation)
 +
 +[[wp>​Richard R. Peabody]]\\
 +
 +==『飲酒の常識』==
 +
 +//​[[http://​silkworth.net/​pdf/​CommonSenseDrinkPeabody.pdf|The Common Sense of Drinking]]//​ [pdf] (Silkworth.net)\\
 + -> {{:​rds:​commonsensedrinkpeabody.pdf|}}\\
 +//​[[http://​www.williamwhitepapers.com/​pr/​1930%20Peabody%20Common%20Sense%20of%20Drinking.pdf|The Common Sense of Drinking]]//​ [pdf] (williamwhitepapers.com)\\
 + -> {{:​rds:​1930_peabody_common_sense_of_drinking.pdf|}}\\
 +
 +> 1930年に出版されたこの本は、オックスフォード・グループで用いられ、アルコホーリクス・アノニマスの共同設立者たちもこれを読んでいる。
 +
 +<​blockquote>​
 +Drinking is a manifestation of the wish to escape from reality. The illusory charm of
 +drink comes from the fact that the mental reactions to alcohol are extremely satisfying to
 +certain basic psychological urges. Let any man reflect on his sensations subsequent to
 +taking a drink and I think he will agree that the resultant feelings consist (1) of
 +calmness, poise, and relaxation; (2) of self-satisfaction,​ self-confidence,​ and selfimportance.
 +
 +While the satisfaction of the demands for peace of mind and ego-maximation by alcohol
 +may be legitimate for the average man who can control the use of it, certain individuals,​
 +normal in other ways, have an abnormal reaction to drinking. It is too fascinating to
 +them. It poisons their nervous systems. Those who react in this manner must eliminate
 +drink from their lives or suffer very serious consequences. If they are willing, these
 +people can be shown how to train their minds so that they no longer wish to drink. They
 +can learn to relax and to satisfy their egos in a manner that is constructive and
 +permanent.
 +----
 + 飲酒は現実から逃避したいという願望の現れである。飲酒の魅力は錯覚でしかない。しかし、その魅力は次の事実に由来している。アルコールに対する精神的な反応は、ある種の基本的な心理的衝動をきわめて強く満たすのである。一杯飲んだ後にだれでも感じることをよく考えてみるとよい。一杯飲めばだれだって、(1)心の平安、バランス、リラックスといった感覚に満たされるし、(2)満足、自信、優越などが入り混じった感情になる。\\
 +
 + 心の平安を求め自分を最大限に尊重したいと思う気持ちをアルコールが満足させることは、アルコール摂取をコントロールできる普通の人にとっては何の問題もないだろう。ところが、他のことでは普通の人と変わりないのに、飲酒に対してだけは異常な反応をしてしまう人々がいる。彼らにとって飲酒はあまりにも魅惑的なのだ。それは彼らの神経系を害してしまう。このような反応をする人は、生活から飲酒を取り除かなければならない。さもないと、彼らはたいへん深刻な結末を迎えることになる。
 +<​cite>​
 +Peabody(1930)((Peabody,​ R. R. (1930), //The Common Sense of Drinking//, Boston:​Little Brown and Co. -> //​[[http://​silkworth.net/​pdf/​CommonSenseDrinkPeabody.pdf|The Common Sense of Drinking]]//​ [pdf] (Silkworth.net) )), pp.x-xi
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +> ビッグブックの「医師の意見」の中で、シルクワース医師は、アルコホーリクの体内にアルコールが摂取された際の異常な反応を説明している。このシルクワース医師の意見は、ピーボディの本を参考にしていると思われる節がある。
 +
 +> コートニー ベイラーもリチャード ピーボディも、自らの仕事や出版物の中で数多くの注目すべき考えを展開している。しかし、彼らは、アルコホリズムという疾病概念を、アレルギーや強迫観念として充分に理解してはいなかった。彼らが時代に先んじていたのは、アルコホリズムの精神的な面についてだけだった。
 +
 +===ジャコビー・クラブ===
 +
 +<​blockquote>​
 +1909年、エマニュエル教会のメンバーたちとゴム商人として有名だったアーネスト・ジャコビー(Ernest Jacoby)がジャコビー・クラブを始めた。彼は教会の地下で「人が人に会う(men meeting men)」と名付けられたミーティングを始めた。それは最初は飲酒問題の影響を受けた人たちが集まってお互いに助け合うための補助的なミーティングにすぎなかったが、このグループは急速に成長し、1913年9月にはエマニュエル運動から独立した。その後の数十年にわたって、落ちぶれた男たちを手助けし、回復の手段としての共同体に特に力を注いだ。
 +
 +1940年にはパディ・キーガン(Paddy Keegan)がボストンにやってきて、この市で最初のAAグループを始めたが、彼の活動はジャゴビー・クラブと関係していた。最初の毎週のAAミーティングは、ニューバリー通り115番地のジャゴビー・クラブで行われた。これはボストン・パブリック・ガーデンのすぐ西で、コモンウェルス大通りの数ブロック南に位置する。ニューヨークのAAオフィスにいたルース・ホック(Ruth Hock)はボストンのアルコホーリックから接触があると、それをジャゴビー・クラブでアルコホーリック用のプログラムを運用していたローレンス・ハトルスタッド(Lawrence Hatlestad)に送っていた。
 +
 +この小さなAAグループは自分たちの会場を持たなかったが、1941年6月には少し離れたニューバリー通り123番地へ移った。翌年1942年に、このグループは4ブロック離れたニューバリー通り306番地に移った。
 +
 +1942年5月には、ボストンのビジネスマン、リッチモンド・ウォーカー(Richmond Walker)がAAにやってきて酒をやめた。6年後の1948年、リッチモンドは『一日二十四時間(//​Twenty-Four Hours a Day//​)』というAAの黙想本を自費出版した(*)。この本は瞬く間に全国に拡がって、彼は発行したAAの本の数ではビル・Wに次いで2番目の著者となり、AAに途方もなく大きな影響を与えた。その後の何年にもわたって、ビッグブックを持っているAAメンバーの数より、彼の小さな黒い背の本を持っているメンバーのほうが多かったと言われる。
 +
 +リッチモンドは、エマニュエル運動やジャコビー・クラブを生み出したのと同じ知識の教育をボストンで受けていた。また彼をプログラムに導いたAAのオールドタイマーたちは、大半がジャゴビー・クラブで酒をやめた者たちだった。そのおかげで、彼はその本の中で、回復に不可欠な同じ三つのことを強調している。それは、スピリチュアリティ、私たちの潜在意識を「再教育」すること、そして回復中のアルコホーリックたちの共同体が持つ癒やしの力を引き出すことである。
 +
 +*リッチモンド・ウォーカーの本はヘイゼルデンとは無関係である。本が出版された1949年にはヘイゼルデンは存在していなかった。1954年、ミネソタ州で、まだ農場の家屋を使っていたヘイゼルデンが、本の印刷と流通を引き受けたのは、リッチモンドが毎年1万部以上の本を印刷して発送する仕事にすっかり参っていたからだった。このリッチモンドの本に真の影響を与えたのは、ジャコビー・クラブ、オックスフォード・グループ、ニュー・ソート([[https://​ja.wikipedia.org/​wiki/​%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%88|ニュー・ソート]])、19世紀におけるカントやプラトンの解釈、そしてAA初期の伝統であった。
 +<​cite>​
 + --- Dubiel (2004)((Dubiel,​ R. M. (2004), //The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous//,​ iUniverse -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub1.html|The Road to Fellowship]]//​ (Hindsfoot Foundation) )) -> //​[[http://​hindsfoot.org/​kdub2.html|The Emmanuel Movement and the Jacoby Club]]// (Hindsfoot Foundation)
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 + [[wp>​Twenty-Four Hours A Day]]
 +====オックスフォード・グループ====
 +
 +アメリカ人牧師フランク・ブックマンによって始められたクリスチャンの集まり。ブックマンは、すべての問題は個人の恐れと利己心から生まれてくるものであり、人々が人生を神の計画と神のコントロールにゆだねることで解決すると信じた。
 +
 +1908年にイギリスで回心の体験をした彼は、それをもとに1921年に「第一世紀キリスト者運動(A First Century Christian Fellowship)」を創始、1931年には「オックスフォード・グループ」と呼ばれるようになる。1938年には「MRA(道徳再武装、Moral Re-Armament)」と名前を変え、さらに2001年には「イニシャティブ・オブ・チェンジ(Initiatives of Change, IofC)」に変わった。
 +
 + [[wp>​Oxford Group]]\\
 + [[wp>​Moral Re-Armament]] ・ [[http://​www.mrafoundation.or.jp/​|一般財団法人MRAハウス]]\\
 + [[wp>​Initiatives of Change]] ・ [[http://​iofc.jp/​|国際IC日本協会]]\\
 +
 +>​ グループの会合は、「ハウス・パーティ」として知られている。グループには組織も会費もなかった。グループ内にはあらゆる宗教の人々がいて、スピリチュアルな生活を手に入れようと集まってきたさまざまな種類の人々がいた。
 +
 +>​ 会員名簿もなく、会への出席はほとんど常に招待という形式で行われた。「ハウス・パーティ」は、たいてい高級な宿屋や、夏の保養地やホテル、裕福な家で行われ、客はそこで食事を共にしながらさまざまな宗教について意見を交換した。ハリウッドにある野外劇場ハリウッドボウルで行われた「ハウス・パーティ」には、3万6千人が集まったと報告されている。オックスフォード・グループには多くの有力な人々がいて、当時のニューヨーク市長であるラガーディアやハリー・トルーマン大統領も含まれていた。\\
 +
 + {{:​rds:​oxfordcornkent.jpg?​600|}}\\
 + カナダ ノバスコシア州ケントヴィルで行われたオックスフォード・グループのハウス・パーティ\\
 +  --- Phillip Vogler((Phillip Vogler, //Pictures of the James P. Vogler family of Vogler'​s Cove// -> //​[[http://​www.rootsweb.ancestry.com/​~canbrnep/​vogbichar.htm|Pictures of the James P. Vogler family of Vogler'​s Cove]]// (The Annapolis Valley Newspaper Extract Project) ))\\
 +
 +<​note>​
 +  *宗教ではない。
 +  *階層(ヒエラルキー)がない---理事や役員会がない。
 +  *礼拝所を持たない。
 +  *会員名簿も、会員証も、特定の場所もない。
 +  *寄付金を集めない。
 +  *組織(organization)ではなく生命体(organism)。
 +  *その働き手は給料を受けとらない。
 +  *ブックマンは創始者でリーダだが、真のリーダーは聖なるスピリットだとメンバーは信じていた。
 +  *何の計画もなく、ただ神の計画だけがある。
 + ---[[wp>​Oxford Group]]
 +</​note>​
 +
 +^ ^問題^解決^回復のプラン^
 +|1928|罪|スピリチュアルな経験|共同体と6ステッププログラム|
 +===フランク・ブックマン===
 +
 + Franklin Nathaniel Daniel Buchman (1878-1961) 牧師。オックスフォード・グループの創始者。第二次大戦後の独仏の和解に貢献したとして両政府から受勲した。\\
 + --- [[wp>​Frank Buchman]]
 +
 + {{:​rds:​buchman-frank-dr.jpg?​360|Frank Buchman}}\\
 + --- Old Picture((Old Picture,// www.old-picture.com // -> //​[[http://​www.old-picture.com/​american-legacy/​000/​Buchman-Frank-Dr.htm|Dr. Frank Buchman]]// )) -> //​[[http://​www.old-picture.com/​american-legacy/​000/​Buchman-Frank-Dr.htm|Dr. Frank Buchman]]//
 +
 +<​blockquote>​
 + オックスフォード・グループは、さまざまな宗教に属する人々の自由な集まりだった。スピリチュアルな成長を願う人なら誰でも参加することができ、人々はグループの教義を実行していた。その教義はアルコホリズムの問題に特別な焦点を当てたものではなく、人間が持つあらゆる問題の解決を目指していた。
 +
 + 創始者はルター派の牧師、フランク・ブックマンである。彼は若いころフィラデルフィアの男子校の校長を務めていたが、理事たちといさかいを起こして学校を辞め、ヨーロツパを旅した。1908年のある晩、イギリスで教会の集まりに行った彼は、ジェシー・ペン=ルイスという女性が恨みとゆるしについて説教するのを聞いた。その説教に彼は激しく心をゆさぶられた。
 +
 + ブックマンは、言い争ったフィラデルフィアの6人の理事に自分が恨みを抱いていることに気づいた。そこで、その夜、部屋に帰って落ち着いてから理事たちにゆるしを乞う手紙を書いた。このときの彼の行為が、彼に急激な変化をもたらした。それは一瞬にして生じた変化であった。
 +
 + 理事たちからの返事はなかったが、ブックマンは自分に生じた変化の理由と原因を考察した。彼は自問した。「あれはどのようにして起こったのだろう。ああなるために私は何をしたのだろう? 一瞬にして変化をもたらした行為が分析できれば、自分を作り変えることが可能になるだろうし、どうやればよいのかを他の人にも教えることができるだろう」
 +
 + ブックマンは自分の行為を分析し、表に記した。(1)降伏し、(2)罪を点検し、(3)告白し、あるいは分かち合い、(4)償いをし、(5)神の導きを求めた。そして、彼はこのやり方を伝え始めた。これらの単純なことを行ったときに、人は初めて神の導きを受けることができると彼は語った。
 +
 + ブックマンはすぐに成功した。この方法にしたがった人々は変わったのである。オックスフォード・グループは広がっていった。これら5つの基本原理一教義が・キリスト教(および世界中の他の宗教)の基盤だと気づいたブックマンは、この運動を『一世紀キリスト教信者共同体』と名づけた。
 +<​cite>​
 +マキュー(2007/​2002)((ジョー・マキュー (2007/​2002),​ //​『ビッグブックのスポンサーシップ』//,​ 依存症からの回復研究会訳,​ 東京:​依存症からの回復研究会)),​ pp.22-23
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +<​blockquote>​
 +"I thought of those six men back in Philadelphia who I felt had wronged me. They probably had, but I'd got so mixed up in the wrong that I was the seventh wrong man.... I began to see myself as God saw me, which was a very different picture than the one I had of myself. I don't know how you explain it, I can only tell you I sat there and realized how my sin, my pride, my selfishness and my ill-will, had eclipsed me from God in Christ.... I was the center of my own life. That big '​I'​ had to be crossed out. I saw my resentments against those men standing out like tombstones in my heart. I asked God to change me and He told me to put things right with them. It produced in me a vibrant feeling, as though a strong current of life had suddenly been poured into me and afterwards a dazed sense of a great spiritual shaking-up."​
 +
 +私はフィラデルフィアで私に不当なことをした6人のことを思い返していた。おそらく彼らは間違っていたのだろう。だが私もその間違いに巻き込まれ、7人目の間違った男になっていた。・・・私は神の視点から自分を見てみようとした。それは今まで自分で思っていた姿とはまったく違っていた。説明するのは難しいが、ただ言えるのは、私がそこに座っていると、私の罪が、私のプライドが、私の身勝手さが、そして私の敵意が、いかに神と私のあいだを遮ってきたかが見えてきたのだ。・・・自分の生命の中心に私がいた。その「私」を取り除かねばならない。彼らに対する恨みが、まるで墓石のように私の心の中に建っているのが見えた。私は神に「私を変えて下さい」と頼んだ。すると神は、彼らに対して物事を正しなさいと言われた。それは私に強烈な感情をもたらした。まるで力強い生命の流れが突然私の中に注ぎ込まれたかのようで、私は霊的な改革を受けたという感覚にぼうぜんとなった。
 +<​cite>​
 +Lean (1985)((Garth Lean (1985), //Frank Buchman - A Life//, GB:​Constable -> [[http://​www.frankbuchman.info/​]] (Buchman Online) )), pp.30-31
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +===オックスフォード・グループの教義===
 +
 +<​blockquote>​
 +AAグループ誕生への発火点となったのは、一九三五年六月、オハイオ州アクロンで、ニューヨークの株式ブローカーとアクロンの医師の間に交わされた会話だった。その六ヵ月前、このブローカーは当時オックスフォード・グループにいた一人のアルコホーリクの友人と出会った。そのあと彼は突然訪れた霊的な体験によって飲酒への強迫観念から救われたのだった。ブローカーはまた、ニューヨークにいたアルコホリズムの専門家で、AAメンバーにとっての聖人である故ウィリアム・D・シルクワース医学博士に大いに助けられた。博士による、初期のころのAAの話が次の章に掲載されている。シルクワース博士から、ブローカーはアルコホリズムの深刻な現実を学んだ。彼はオックスフォード・グループの教義を丸ごと受け入れることはできなかったが、自分の過去を道徳的に棚卸しすること、短所を認めて告白すること、傷つけた人たちへ埋め合わせをすること、他の人の手助けをすること、神への信仰と依存が必要であることなどを納得した。
 +<​cite>​
 +AA(2002/​2001)((AA(2002/​2001),​ 『アルコホーリクス・アノニマス』 翻訳改訂版,​ AA日本出版局訳,​ 東京: AA日本ゼネラルサービスオフィス)),​ p.xx
 +</​cite>​
 +</​blockquote>​
 +
 +==オックスフォードグループの教義と12ステップの関係==
 +
 +|オックスフォードグループの教義|||12ステップ|
 +|BB p.xx(20)|緑本 p.22|緑本 p.30|:::|
 +| |(1) 降伏する||ステップ3|
 +|道徳的に棚卸しする|(2) 罪を点検する||ステップ4|
 +|短所を認めて告白する|(3) 告白し、あるいは分かち合う||ステップ5|
 +|埋め合わせ(償い)をする|(4) 償いをする||ステップ8,​9|
 +|神への依存と信仰|(5) 神の導きを求める||ステップ11|
 +|他の人の手助けをする| |証しをする|ステップ12|
 +
 +==霊的な実践==
 +
 +**SHARING** --- **分かち合い**\\
 +The sharing of our sins and temptations with another Christian.\\
 +自分の罪や誘惑についてもう一人のクリスチャンと分かち合う。\\
 +
 +**SURRENDER** --- **降伏**\\
 +Surrender our life past, present and future, into God's keeping and direction.\\
 +過去、現在、未来にわたる人生すべてを、神の保護と指示のもとへ引き渡す。\\
 +
 +**RESTITUTION** --- **償い**\\
 +Restitution to all whom we have wronged directly or indirectly.\\
 +私たちが直接に、あるいは間接に傷つけたすべての人々に対して償いをする。
 +
 +**GUIDANCE** --- **導き**\\
 +Listening for God's guidance, and carrying it out.\\
 +神の導きに耳を傾け、それに従って実行する。\\
 +
 +<​note>​
 +**GUIDANCE** --- **導き**\\
 +オックスフォード・グループのメンバーの中心的な実践。
 +早朝、聖書や他のスピリチュアルな本を読み、沈黙の時間を持って、これからの一日に神の指示を求め、ペンと紙を使って書き留めた。思い浮かんだことは4つの絶対性に照らしてテストされ、同席者によってもチェックされた。\\
 + --- [[wp>​Oxford Group]]
 +</​note>​
 +
 +==四つの絶対性==
 +
 +  -絶対的な正直
 +  -絶対的な純潔
 +  -絶対的な無私
 +  -絶対的な愛
 +
 +<​note>​
 +これらを達成することは不可能だとは認識されていたものの、行動が神の意図に沿うかどうかを判断する手助けになるガイドラインだとされた。\\
 + --- [[wp>​Oxford Group]]
 +</​note>​
 +
 +オックスフォード・グループの4つの絶対性と12ステップの欠点の関係
 +^オックスフォード・グループ^^12ステップ^^
 +|絶対性||欠点||
 +|正直|honesty|dishonesty|不正直|
 +|純潔|purity|self-seeking|身勝手|
 +|無私|unselfishness|selfishness|利己的|
 +|愛|love|inconsiderateness|配慮・関心の欠如|
 +
 +==カール・ユングとオックスフォード・グループ==
 +
 +<​blockquote>​
 +when a member of the Oxford Group comes to me in order to get treatment, I say, "You are in the Oxford Group; so long as you are there, you settle your affair with the Oxford Group. I can't do it better than Jesus."​
 +
 +オックスフォード・グループのメンバーが私の治療を受けようと来たのなら、私はその人にこう言うでしょう。「あなたがオックスフォード・グループにいるのなら、あなたの問題はオックスフォード・グループで解決しなさい。イエス様のほうが私より上手にできるだろうから」と。\\
 + --- "​Collected Works of C.G. Jung, Volume 18: The Symbolic Life". Princeton University Press. via [[wp>​Oxford Group#​Carl_Jung_on_the_Oxford_Group]]
 +</​blockquote>​
 +
 +==AAとの関係==
 +
 +<​blockquote>​
 +アメリカの有名なタイヤメーカー、グッドイヤーとファイアストンの本拠はどちらもオハイオ州アクロンにあった。アクロンのオックスフォード・グループのメンバー、ジム・ニュートン(Jim Newton)は、ファイアストーン家の息子ラッセル・ファイアストーンがアルコホーリクであることを知り、酒をやめさせた後、オックスフォード・グループの集会に連れて行った。ファイヤストーンの息子は人生を神に捧げ、酒を飲まない人生を過ごした。父ハーヴェイ・ファイヤストーンはそのことに深く感謝し、1933年1月に、ブックマンと60人の随行をアクロンに招き、10日間のキャンペーンを行った。その後、アクロンには熱心なグループができ、T・ヘンリー・ウィリアムズの家に毎週集まっていた。その中に、ボブとアンのスミス夫妻がいた。\\
 + --- [[wp>​Oxford Group#​Relationship_to_Alcoholics_Anonymous]]
 +</​blockquote>​
 +
 +|1935年6月10日|アルコホーリクス・アノニマス創始|
 +|1937年|ニューヨークのAAがオックスフォード・グループから分離する|
 +|1938年5月|ビッグブックの執筆開始|
 +|1939年4月|ビッグブック出版|
 +|1939年夏|中西部のAAがオックスフォード・グループから離脱、AAは完全に独立|
 +
 +====禁酒法====
 +
 +[[wpjp>​アメリカ合衆国における禁酒法]]
 +
 +1919年から1933年まで、アメリカで酒類の製造、販売、運送が禁じられた。\\
 +
 + {{:​rds:​orange_county_sheriff_s_deputies_dumping_illegal_booze_santa_ana_3-31-1932.jpg?​480|Orange County Sheriff'​s deputies dumping illegal booze, Santa Ana, 3-31-1932}}\\
 + カリフォルニア州オレンジ郡で密造酒を捨てる保安官。\\
 + --- [[wp>​Prohibition in the United States]]
 +
 +  *宗教では敬虔なプロテスタントが支持したが、一部のプロテスタントとカトリックは政府が道徳を定めることに反対した。
 +  *飲酒によって労働者の工場での規律が乱れ、生産能率が落ちていた。
 +  *飲酒によって町の治安が乱れていた。
 +  *「不健全な」酒場に夫が出入りすることへ、妻たちが反対した(キリスト教婦人禁酒連盟)。
 +  *第一次大戦(1914-1918)。アメリカは1917年にドイツ帝国に宣戦布告した。アメリカの酒造業界にはドイツ人が多かったが、アメリカ参戦により発言力を失った。
 +
 +・・結果として
 +
 +  *酒は密造、密売されるようになった。
 +  *酒の流通は非合法組織(ギャング)によって支配され、治安は悪化した。
 +  *もぐり酒場ができ、酒の消費量はかえって増えた。
 +  *酒税5億ドルの税収がなくなった。
 +  *大恐慌(1929年)後の景気対策のために、禁酒法は廃止された。
 +  *廃止の後も禁酒法を続ける州もあった(現在も郡や町単位で続いているところもある)。
 +
 + {{:​rds:​al-capone-1.jpg?​320|Al Capone}}\\
 + 違法な酒の流通で利益を得たギャング アル・カポネ。\\
 + [[http://​www.biography.com/​people/​al-capone-9237536|Al Capone Biography]] (Biography.com)\\
 +
 + {{:​rds:​alcohol_control_in_the_united_states.png?​480|Alcohol Control in the United States}}\\
 + 赤は酒類の販売を禁止・制限している郡、黄は一部で禁止・制限している郡\\
 + [[wpjp>​禁酒郡]]\\
 +
 +> 禁酒法が制定された事実によって、その時代にアルコホリズムがいかに重大な問題だったのか、私たちにわかる
 +
 +<note tips>
 +酒を禁止することによってアルコホリズムを解決することは出来なかった。
 +</​note>​
rds/s01.txt · 最終更新: 2019/06/18 03:28 by admin

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