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AAの始まり

ローランド・ハザード

 
 Rowland Hazard - A Great Lesson in Recovery

Rowland Hazard III (1881-1945)ロードアイランド州の名家の息子、ハザード家の所有する多くの企業の経営をした。州議会の議員も務めた。

 Rowland Hazard III

 切羽詰まったこの銀行投資家は、1931年にチューリヒへと向かい、著名な精神分析学者のカール・ユングに治療をゆだねた。ユングの治療を受けたローランドは、アルコール症が治ったものと信じてアメリカに帰国した。ところが、ほどなくして再発し、再度ユングを訪ねてみたが、博士からは医療や精神科の治療で尽くすべき手はすべて尽くしたのだということ、さらに、望みがあるとしたらそれは唯一「霊的な目覚め」あるいは、宗教的な経験しかないのだということ、そのような経験をするチャンスは極めてまれなのだということをはっきりと言い渡された。
 ユングは、アルコール症によって霊的な空洞が生み出されるものと理解していた。だが、霊的な経験のようなものによって、その空洞が埋められることがあり、飲めば確実に自滅へと向かうアルコールへの飽くなき欲求が取り去られることもあることを理解していた。ただし、誰もが経験できるわけではなかった。そして、ユングがそのような霊的な体験は精神療法の領域ではないと理解していたことも特筆に値する。ユングは自らの新しい科学の限界を受け入れ、ローランドに対して、解決に向けた悲観的ともいうべき提案をしたのだ。そこでローランドは、霊的な探求を始めた。まず英国のオックスフォード・グループに出会い、そこからアメリカのオックスフォード・グループ・センターにつながり、さらにニューヨーク市にあるカルバリー聖公会教会(Calvary Episcopal Church)とサム・シューメイカー(Sam Shoemaker)との出会いへと導かれたのだった。 ホワイト (2007/1982)1), pp.126 第15章アルコホーリクス・アノニマスの誕生=小史

あるアメリカの実業家は・・・(中略)

アルコホーリクがいわゆる決定的な霊的体験を経験している。ふつうとは言えない現象なのだが。それはいままでの情緒が大きく変わって、新しくなるといったことのようだ。ずっと持っていた人生への考えや情緒や態度が突然取り除かれて、それに代わる新しい考えと、生きていく動機が支配し始める。(中略)

彼は前に書いたようなあの不思議な体験をした。そうして、解放されたのだった。 AA(2002/2001)2), pp.39-42

偉大な医師とその患者とのやりとり、この簡単な会話がやがてアルコホーリクス・アノニマスを通じて広がり、世界中の何百万人もの人々に回復をもたらした

ローランドがユングの治療を受けたのはおそらく1930年だと、後にビル・Wは語っている。また、ユングに宛てた手紙には、1931年頃と書いた。このため、AAでは、ローランドがユングの治療を受けたのは1930~31年とされているが、最近の研究では、ローランドは実際には1926年5月にチューリッヒのユングを訪れ相当の期間の治療を受けたことが分っている。

また、回復者セラピストのコーティニー・ベイラー(Courtenay Baylor)のケアを1933年の10月から34年の10月まで受けた。→ コートニー・ベイラー参照

ローランドは1936年に大きな再飲酒があった。その後は聖公会教会に加わり、順調な暮らしを続けた。

  — ホワイト (2007/1982)3)Rowland Hazard III / Dubiel (2004)4)

カール・ユングは、ローランド・ハザードに、アルコホリズムが「決定的な霊的体験」によって解決できることを伝えた。これが後にAAの12ステップのステップ2(解決)になった。

カール・グスタフ・ユング

カール・グスタフ・ユングジークムント・フロイトアルフレッド・アドラー
GarbhaThe Joy of FreudThe Adler Centre

Carl Gustav Jung (1875-1961)スイスの精神科医、心理学者。分析心理学(ユング心理学)を創始した。

オーストリアの精神科医で精神分析学(Psychoanalysis)を創始したジークムント・フロイト(Sigmund Freud)と親しく交流し、ユダヤ人だったフロイトに代わって国際精神分析協会の初代会長も務めた。しかし、無神論を支持したフロイトとは理論的な違いが現われ、やがて袂を分かち、分析心理学(Analytical Psychology)を創始した。

ユングはフロイトより19才年下。同時期のオーストリアの精神科医に、やはりフロイトから決別したアルフレッド・アドラー(Alfred Adler)がいた。アドラーはアドラー心理学を創始した。

フロイトの作った精神分析は治療法として使われなくなっていったが、現在のパーソナリティ理論はフロイト、ユング、アドラーらの理論が基盤になっている。
  — カール・グスタフ・ユング

 そのころ、現代精神医学はちょうどその幼少期を過ぎ、素晴らしい進歩をとげつつあるものとして、世界的な注目を浴び始めていた。人間の無意識の内部にある心の神経と動機との探究は、このころすでに最盛期だった。
 精神医学のいくつかの学派を代表する探究者たちの間には、この新しい発見の真の意味をめぐって、当然、かなりの意見の相違があった。一方でカール・ユングの弟子たちは宗教的信仰に価値と意味と現実性とを認めていたが、当時の精神医学者の大多数はたいてい、ジークムント・フロイトの説を固守していた。その説とは、宗教は人間の未熟さゆえの苦しみを和らげる空想であり、人が近代学問の光の中で成長したときには、もはやそのような支えは必要としないであろう、というものだった。 AA (1957/1990)5), p.4

フロイト、ユング、アドラーの3人のなかで唯一人ユングだけが霊的なものに価値を認めていた。そのユングのところにハザードが行った。もし、ハザードが他の二人のところに行ったら、AAも12ステップもできあがらなかっただろう。ローランドがユングを選んだ。これも一つの奇跡である。

Zazzle

ビル・Wがユングに宛てた手紙とその返信

ビル・Wがカール・グスタフ・ユング宛てに書いた手紙(1961年1月23日)

ユング先生机下

感謝の手紙を差し上げるのがすっかり遅くなってしまいました。まず自己紹介をさせていただきます。私はアルコホーリクス・アノニマスの共同創始者で、ビル・Wと申します。もし先生が私たちのことをご存じだったとしても、かつてあなたの患者であったローランド・H氏と先生が1930年代初めにかわした会話が、私たちの共同体を誕生させるのに決定的に重要な役割を果たしたことを、先生はお気づきになっていないのではないかと思います。

ローランド・Hが亡くなったのはずいぶん前のことですから、先生の治療を受けていた間の彼の特筆すべき経験も、すでにAAの歴史の一部となりつつあります。私たちの記憶によれば、ローランド・Hはあなたとの経験を次のように語っていました:

彼は他のどんな手段をもってしてもアルコホリズムから回復することが出来ず、1931年頃に先生の元を訪れました。おそらく彼は先生による治療を1年ほど受けたのではないでしょうか。彼は先生のことを大変敬愛し、また深く信頼していました。

けれど彼自身も驚いたことに、その後彼は再飲酒して飲んだくれに戻ってしまった。彼にとってあなたは「最後の頼みの綱」でしたから、再びあなたの治療を受けに行きました。そして、その時に先生と彼の間にかわされた会話が、後にアルコホーリクス・アノニマスを誕生させる出来事の連鎖の始まりでした。

私の記憶では、彼はその話をこう説明していました。まず最初に、先生は率直に、彼が今後どのような医学的、精神医学的治療を受けようとも、絶望的であることを伝えました。先生によるこの率直で謙虚な言明が、私たちの集まりにとって最初の基盤になったことは疑いありません。

信頼し敬服する先生からこれを聞かされ、彼はとても大きな衝撃を受けました。次に彼は、助かる手段は何かないのか、とあなたに尋ねました。あなたは、スピリチュアル(霊的)あるいは宗教的な体験、すなわち真の回心をすれば可能かも知れないと答えました。そして、他のどんなやり方で無理であったとしても、そうした体験がもし得られたなら、新しい動機が与えられることを指摘しました。さらにあなたは、それによってアルコホーリクが回復することがあるとは言うものの、そうした体験は比較的まれにしか起きないと注意しました。そして、宗教的な雰囲気のなかに身を置き、ベストを尽くすようにと彼に勧めました。これがあなたの助言の内容だったと、私は信じています。

その後まもなくローランド・H氏は、福音復興運動であるオックスフォード・グループに参加しました。その運動は当時ヨーロッパでの成功が最高潮に達していましたので、あなたもよくご存じのはずです。先生も、彼らが、自分を点検すること、告白すること、償いをすること、他の人への奉仕に自分を捧げることを強調していたことを憶えてらっしゃると思います。また黙想と祈りにも重きが置かれていました。そうした環境の中で、ローランド・Hは回心の体験をし、飲酒への強迫衝動から解放されたのです。

ニューヨークに戻ると、彼はその地での「OG」の熱心なメンバーになり、聖公会の牧師サミュエル・シューメイカー師に導かれました。シューメイカー師はオックスフォードグループ運動の創始者の一人で、優れた誠実さと信念を備えた人格の持ち主でした。

この時期(1932~34年)には、オックスフォード・グループはかなりの人数のアルコホーリクの酒をやめさせていましたから、ローランドは彼らに共感することができ、他のアルコホーリクを手助けする活動に取り組みました。たまたまその中の一人が、私の昔からの学友であるエドウィン・T(エビー)だったのです。エビーは施設に収容される寸前でしたが、H氏ともう一人の「OG」メンバーがエビーに執行猶予をもたらし、さらにソブラエティの手助けをしてくれました。

ちょうどその頃、私もアルコホリズムが悪化し、施設に収容される直前でした。幸運なことに、私はアルコホリズムを理解する素晴らしい能力に恵まれた医師である、ウィリアム・D・シルクワース医師の治療を受けることになりました。ちょうどあなたがローランドの治療を断念したように、シルクワース医師も私の治療を断念しました。彼の理論によれば、アルコホリズムは二つの要素で構成されています。一つは例え患者が飲酒するつもりがなくても、酒に関心がなくても飲まずにはいられなくなってしまう強迫観念と、もう一つは後に彼がアレルギーと呼んだ代謝の不具合です。強迫衝動はアルコホーリクに酒を飲み続けさせ、アレルギーは患者を狂気や死に至るまで悪化させていきます。いっとき彼は私を数少ない助けられる人の一人とみなしていましたが、やがては私が絶望的であることを告げることなりました。それは私にとってひどい打撃でした。あなたによってローランドの回心体験への準備が整ったように、私も素晴らしい友人であるシルクワース医師によって準備をさせられたのです。

友人であるエドウィン・Tは、私のひどい有り様を知り、飲み続けている私に会いに我が家を訪問しました。それが1934年の11月です。私は友人であるエドウィンは絶望的だとずっと思っていました。しかし、やってきた彼が「解放」された状態にあるのは明らかでした。それは彼とオックスフォード・グループのごく短い関わりだけではとても説明できません。彼の落ちぶれ具合は尋常ではなかっただけに、彼がはっきりと解放された様子には、とてつもない説得力がありました。彼は私と同じ病気でしたから、私にとても深いレベルで伝えることができました。私は、彼と同じ霊的経験をするか、それとも死ぬしかないことを悟りました。

私はシルクワース医師のもとに戻ってもう一度治療を受けました。そのおかげで、友人が解放された経験や、ローランド・Hの友人への働きかけについて、はっきりとした考えがまとまりました。

しらふに戻ると、私はひどい鬱になりました。それはおそらく、私がほんの僅かな信仰ですら持つことができないことが原因だったのでしょう。エドウィン・Tがやってきて、オックスフォード・グループのやり方をまた伝えてくれました。彼が帰ると、私の鬱はもっとひどくなりました。完全な絶望のなかで、私は叫びました。「もし神が存在するというのなら、頼むから姿を見せてくれ」 するとすぐに、私は途方もない衝撃と拡がりを持った光に包まれたのです。私はそれを、同封した本、『アルコホーリクス・アノニマス』や『AA成年に達する』の中で描写しようと努力しました。

私は即座にアルコールへの強迫観念から解放されました。同時に、自分が自由な身になったことを知りました。私がその経験をしたすぐ後に、エドウィンが病院にやってきて、私にウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』を一冊くれました。その本を読み、回心の体験は多様であるものの、それがどんなものであっても、たいていはその人の深いところで自我の収縮が起きていることを私は知りました。それぞれに脱出できない窮地に追い込まれた人たちでした。私にとっての窮地は、強迫的な飲酒と、主治医によってさらに深められた絶望の感覚によってもたらされました。そして私は、あなたがローランド・Hを絶望的だと宣告したという話を友人から聞かされて、私の絶望はいっそう深くなりました。

私は霊的経験をした後で、皆が共感の中で霊的経験を次の人に鎖のように手渡していくアルコホーリクの集まりという構想を得ました。アルコホーリクたちが、アルコホリズムの絶望性という科学的な情報を伝えていけば、新しい人たちの人生を変える霊的経験への間口は大きく広がるでしょう。この考えが、アルコホーリクス・アノニマスの今日の成功の基礎となりました。これにより、ウィリアム・ジェームズが報告したあらゆる種類の回心体験のほとんどが、大量にもたらされました。この四半世紀で、持続的な回復をした人は約30万人。現在、アメリカとその他の国々にAAグループが8千あります。

ですから、私たちAAメンバーは、ユング先生と、オックスフォード・グループのシューメイカー師と、ウィリアム・ジェームズ氏と、そして私の主治医シルクワース医師に、とても恩義を感じています。もうはっきりおわかりでしょう、この出来事の連鎖は、ずいぶん昔、あなたの診察室から始まったのです。これはあなたの謙虚さと深い見識から生まれたものなのです。

あなたの著作を学んでいるAAメンバーはとてもたくさんいます。なぜなら、人間は知性以上の、感情以上の、そして2ドルの化学物質以上の何かであるというあなたの信念が、私たちを惹きつけてやまないからです。

私たちの集まりがどのように成長し、一体性を保つために「伝統」を作り上げ、その機能を組織化してきたか、同封した書籍やパンフレットに書かれています。

AAメンバーは、「霊的な経験」に加えて、実に多様な精神の現象を報告しており、その蓄積は注目に値すると思われます。他にも、AAで回復した後に、あなたの流派の開業医の治療を受けているメンバーもいます。あなたが世に紹介した「易経」に惹きつけられている人たちも少なくありません。

この共同体の歴史において、あなたが受けてきた敬愛は、他に比類すべきものがありません。

感謝を込めて
アルコホーリクス・アノニマス共同創始者 ビル・G・W

The AA Grapevine(1988)6), pp.276-280
Bill W.(1961)7)Bill W.'s letter to Dr. Carl Gustav Jung

ユングからビル・Wへの返信(1961年1月30日)

ウィルソンさんへ

あなたの手紙を大変うれしく拝読しました。

その後ローランド・Hの便りを全く聞かなかったので、彼がどうなっただろうかといつも気にかけていました。彼と交わした会話の内容はあなたに十分に伝わっていますが、彼が知らなかったこともあります。私が彼にすべてを話さなかったのは、その当時はどう言っても誤解されてしまうことが分っていたからです。私は何を話すのかとても気をつけていました。だから、ローランド・Hにはとても用心深く伝えたのです。しかし私の頭にあったのは、彼のような人たちが様々な霊的経験をした結果についてです。

アルコールへの渇望は、深いレベルで、全体性を求める、古くさい言葉で言い換えるなら神と一体となることを求める、私たちの存在のスピリチュアルな渇きに等しいのです。(*)

こんにちでも、そのような洞察を誤解なく言葉で伝えることができる人がいるでしょうか?

スピリチュアルな経験は、実際にそれがあなたに起こった時にだけ、正真正銘のものとなりますが、それはあなたがより高い理解へ至る道を歩く時にのみ起こりえるのです。人は、神の恩寵の働きによって、あるいは友人たちとの個人的で誠実なふれあいを通じて、またはたんなる合理主義の制約を超えられるまで精神が高度な教えを受けることによって、そのゴールへと導かれるのでしょう。あなたの手紙によると、ローランド・Hはこの2番目の道を選んだようですね。事情を考えれば、彼にとってそれが最善の選択だったことは明らかです。

この世界に悪の原理が広がっていて、それが人間の無意識の「破滅へと向かうスピリチュアルな願望」を導いていることを、私は強く確信しています。それに立ち向かえるのは、真の宗教的洞察か、人間の共同体という防護壁しかないでしょう。天からの作用に守られず、社会から切り離されてしまうと、普通の人間は悪の力に抵抗できません。人は「悪魔」という言い方でこのような悪の力を言い表してきました。しかしこうした言葉を使うと多くの誤解を招いてしまいますから、できるかぎり避けるしかありません。

私がローランド・Hにすべてのことを十分に説明できなかったのは、こうした事情によるものです。あなたのとても慎み深く、誠実な手紙を読んで、あなたはアルコホリズムについてよく耳にする誤解の多い決まり文句ではなく、ちゃんとした見解を持っていること分りましたから、あえて危険を冒してこのことをお伝えすることにしました。

ご存じの通り「アルコール」はラテン語で「spritus(スピリタス)」です。私たちは最もスピリチュアルな経験と、最も致命的な毒に同じ言葉を使っています。ですから、役に立つ言葉は「スピリットはスピリッツ(酒)をしのぐ(spiritus contra spiritum)」でしょう。

有益な手紙に感謝します。

敬白

C・G・ユング

涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。(詩編42:1,新共同訳

The AA Grapevine(1988)8), pp.280-281
Bill W.'s Correspondence with Carl Jung (the BIG BOOK BUNCH)

  
  —Jung C.G.(1961)9)Dr. Carl Jung's Letter To Bill W., Jan 30, 1961

さらに、ビル・Wからユングへの二度目の手紙。

Bill's reply to Dr. Jung's letter is dated March 20, 1961. It reads, in part:

“Your observation that drinking motivations often include that of a quest for spiritual values caught our special interest. I am sure that, on reflection, thousands of our members could testify that this had been true of them, despite the fact that they often drank for oblivion, for grandiosity, and for other undesirable motives. Sometimes, it seems unfortunate that alcohol, used in excess, turns out to be a deformer of consciousness, as well as an addictive poison.

“Years ago, some of us read with great benefit your book entitled 'Modern Man in Search of a Soul.' You observed, in effect, that most persons having arrived at age 40 and having acquired no conclusions or faith as to who they were, or where they were, or where they were going next in the cosmos; would be bound to encounter increasing neurotic difficulties; and that this would be likely to occur: whether their youthful aspirations for sex union, security, and a satisfactory place in society had been satisfied or not. In short, they could not continue to fly blind toward no destination at all, in a universe seemingly having little purpose or meaning. Neither could any amount of resolution, philosophical speculation, or superficial religious conditioning save them from the dilemma in which they found themselves. So long as they lacked any direct spiritual awakening and therefore awareness, their conflict simply had to increase.

“These views of yours, doctor, had an immense impact upon some ofthe early members of our A.A. Fellowship. We saw that you had perfectly described the impasse in which we had once been, but from which we had been delivered through our several spiritual awakenings. This 'spiritual experience' had to be our key to survival and growth. We saw that the alcoholic's helplessness could be turned to vital advantage. By the admission of this, he could be deflated at depth, thus fulfilling the first condition of a remotivating conversion experience.

“So the foregoing is still another example of your great helpfulness to us of A.A. in our formative period. Your words really carried authority, because you seemed to be neither wholly a theologian nor a pure scientist. Therefore, you seemed to stand with us in that no-man's-land that lies between the two - the very place that many of us had found ourselves. Your identification with us was therefore deep and convincing. You spoke a language of the heart that we could understand.”

There was no reply to Bill's second letter. Two months later, on june 6 of that year, Dr. Jung died. Bill, having waited a quarter of a century to write his thank-you note, had sent it just in time.


ユング医師へのビルの返信(1961年3月20日付)(部分):

「飲酒への動機の中にはしばしば霊的な価値への探求が含まれている、というあなたの観察に、私たちは特に関心を持ちました。よく考えてみれば、何千というAAメンバーが、それが真実だと確かに証言できます。例え彼らが、何もかも忘れるために、あるいはもっと好ましくない動機でしょっちゅう飲んだくれていたとしてもです。時に不幸なのは、過度のアルコールは、常習性のある毒として知覚を変容させてしまうことです。

「ずっと以前、AAメンバーの何人かが、あなたの本『魂の探求者としての近代人(Modern Man in Search of a Soul)』を読んで大きな手助けを得ました。その本の中であなたが実質的に述べられているのは、ほとんどの人々は、自分が何者であり、この宇宙のなかで自分がどこにいて、この先どこに向かっているのかについて、何の結論も、確信も得られないまま四十才に達していること。そのせいで増悪する神経症的困難に遭う運命にあり、それは彼らの若き日の、性的結びつきへの、安全への、また社会の中で満足できる地位に就きたいという願望が満たされたかどうかに関わりないこと。つまるところ、彼らは、ほんのわずかしか目的や意味を感じられない世界の中を、これ以上盲目のまま、あてどもなく飛び続けることができなくなったのであり、どれほど決意を重ねても、哲学的思索を深めても、特定の宗教的環境に身を置こうとも、彼らが陥った窮地から救うことができないこと。そして、何らかの直接的な霊的目覚めと、それによる気づきが得られない限り、彼らの葛藤は増していくだけなのだ、ということでした。

「先生のこうした見解は、初期のAA共同体のメンバーのかなりに大きな影響を与えました。あなたは、私たちがかつて行き詰まった袋小路を完璧に描写して下さいました。その時期があったからこそ、それを通り抜けて一人ひとりが霊的な目覚めへと到達できたのです。この「霊的体験」が、私たちが生き残り成長する鍵です。アルコホーリクの無力さは、逆に力強い長所にもなり得る、と私たちは見なしています。アルコホーリクは、無力を認めることによって深いところで(エゴを)収縮させることができ、それがあってようやく、生きる動機を与える回心の体験への条件が整うのです。

「前の手紙では、先生が私たちAAの成長期において別の偉大な寄与をしてくださったことをお伝えしました。あなたの言葉には本当の説得力があります。それは、あなたがまったくの神学者でもなく、純粋な科学者でもないからだと思われます。あなたはこの二つ(神学と科学)の間にある緩衝地帯に立って、私たちと一緒にいてくださるように思います。それは、私たちの多くが自分自身を見出した場所でもあります。あなたが、私たちと同じだとおっしゃって下さる言葉には、深い説得力があります。あなたが書いてくださった心のこもった言葉を私たちはよく理解できました」

 ビルのこの2通目の手紙に返事はなかった。2ヶ月後の6月6日にユング医師は亡くなった。ビルは感謝の手紙を書くの四半世紀を要したが、それはぎりぎりで間に合ったのである。

AA(1984)10)

 ビルはユングに宛てて二度目の手紙を書き、「あなたは私たちとともに、神学と科学の間にある緩衝地帯に立っておられるように思えます」と述べた。言い換えるなら、それは宗教と医学の間であり、もっとはっきりと言えば宗教と心理学の間である。

 宗教の心理学は異なった意識状態という概念を主として扱っている。私たちはそうして、一人ひとり自分自身に気づき、感じている。これらの異なった認識と感情は、私たちが世界を認知する方法の「移行」という結果をもたらす。私たちの意識状態が一つのところからもう一つのところへと動くにつれて、私たちは究極の現実についての妥当な知識を認知する。そして、これが自己変容を容易にするのである。

 「寺院にある岩には神性が宿っているかもしれない。外にある岩はただの岩にすぎないだろう」(エドワード・ロバート・S・Jr.『宗教を始めるために』「中から外へ」67 ページ参照)。

 これはもちろん、私たちの認識と感覚が、ある日にある状態から別の状態へ変化したときに、世界をどう認識するかにかかっている。
1) , 3)
W・L・ホワイト (2007/1982), 『米国アディクション列伝: アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, 鈴木美保子他訳, 東京:ジャパンマック
2)
AA (2002/2001), 『アルコホーリクス・アノニマス』 翻訳改訂版, AA日本出版局訳, 東京: AA日本ゼネラルサービスオフィス
4)
Dubiel, R. M. (2004), The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous, iUniverse → The Road to Fellowship (Hindsfoot Foundation)
5)
AA (1957/1990), 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』, AA日本出版局訳, 東京:AA日本ゼネラルサービスオフィス
6) , 8)
The AA Grapevine (1988), The Language of the Heart: Bill W's Grapevine Writings, NY:The AA Grapevine, 0933685165
7)
Bill W. (1961), Bill W.'s letter to Dr. Carl Gustav Jung, Silkworth.net → Bill W.'s letter to Dr. Carl Gustav Jung
9)
Jung C.G. (1961), Dr. Carl Jung's Letter To Bill W., Jan 30, 1961, Silkworth.net → Dr. Carl Jung's Letter To Bill W., Jan 30, 1961
10)
AA (1984), 'Pass It On': The Story of Bill Wilson and How the A. A. Message Reached the World, NY:Alcoholics Anonymous World Serv Inc, 0916856127
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